吹浦遺跡

鳥海山の南側に位置する裾野の海岸にある遊佐町吹浦には、縄文前期から縄文晩期までの遺跡が点在している。
海と月光川河口を前にし後ろに鳥海山と云う事で、比較的温暖な縄文時代の気候と豊富な海と山の幸の幸に恵まれた絶好の住みよい環境だった。
元国分寺後に堂の前遺跡があり「大雨の後、吹浦の浜に石鏃現れる」とあるのは、土が豪雨で現れて石の矢尻等が地上に顔を出した事と考えられている。
当時の出羽国府の人たちは蝦夷の叛乱を恐れており、鳥海山の噴火、石族の発見などを叛乱の予兆とこじつけ其の都度大和朝廷に報告した。そのため鳥海の神は其の神意の大きさを反映した事と評価され神階が上がっていく事となった


縄文前期の穴居生活の後 縄文の石鏃 縄文の石鏃 縄 文 土 器